朝日新聞「志布志事件」取材班『虚罪――ドキュメント 志布志事件』(岩波書店)を読む。

「志布志事件」で取られた警察官調書について、次のようにある。

《たとえば、懐智津子さんの四回目の会合についての警察官調書では、テーブルの上には大きな盛り皿が二個置いてあり、唐揚げ、エビや野菜などの天ぷら、ウィンナー、卵焼き、薩摩揚げなどが盛られ、その中に銀色のアルミ箔の容器に入れられたキュウリやタマネギなどの酢の物などが添えられ、透明なラップが被せられていた、また、青っぽい発泡スチロールの四角いトレーに大根の千切りとイカと魚の刺身が五切れくらいずつ入れられたものも一人分ずつ準備されていたことになっていた。そのトレーに入っていた刺身醤油の袋やワサビの袋の形状について供述があるなど、極めて詳細だった。》(p49)

うーむ、ここまで詳細な供述を引き出すとは、なかなかやるな、警察官。

……と、思いました?

続けて、こうあります。

《これについて、判決は、「全体としてみると、あまりにも詳細にすぎるというべきである。仮に、このような供述が記憶に基づいてなされたというのであれば、被告人懐智津子は、驚異の記憶力の人物ということになろう」と皮肉った。》(p49)

やりすぎちゃった、ということです。

でも、たまに、こういった皮肉が通じず(なのか、皮肉とわかっていてもムキになっちゃうのか)、「そうだよ、滅多にいない驚異の記憶力の持ち主だったんだよ!」と言い張る人、いますよね。あれは見ていて辛くなるから、やめてほしい。

県警の課長が、県会議員から「会合があったのかどうかの認識を」と質問されて。

《無罪が言い渡されたことは重く受け止めている。無罪が確定した以上、今申し上げた以上の認識を申し上げるべきではない。》(p126)

県会議員が、

《「会合がなかった」と表現している判決を尊重するのか。》(p126〜127)

と、重ねて質問。

県警の課長は、

《重く受け止めている。》(p127)

納得しない県会議員は、「刑事部長、答えてもらえるか」と、今度は刑事部長に質問。

《重く、真摯に受け止めている。無罪が確定した現在においては、認識を述べるのは控えたい。》(p127)

まだ納得しない県会議員は、「本部長、もし何かあれば答えてください」と、今度は本部長に質問。

《自白したような会合が存在したとする証拠がないと裁判所で判断されたものと認識している。この判断を尊重するのは当然だ。》(p127)

ここ、国語力(※)的に興味深いな、と思って引用してみました。

「会合があったのかどうか」に対して、「無罪が言い渡されたこと『は』重く受け止めている」。

「は」がポイントですね。国語力的に意訳すると、「会合があったかどうかは藪の中だ」あるいは「自分は会合があったと思っている」となるでしょうか。

また、県会議員の「判決を尊重するのか」は、「判決を事実と認めるのか」という意味でしょう。

それに対して、「重く受け止めている」「重く、真摯に受け止めている」。「真摯に」が入ろうが入るまいが、国語力的に意訳すると、「質問に正面から答えるつもりはありません」となりますね、これは。

本部長にいたって、ようやく質問に答えたといった感じでしょうか。

ひょっとしたら、本部長の前に課長や部長が「判決を事実と認める」旨の答弁をしてしまうと、あとで本部長にえらく怒られる、という事情があったのかもしれませんが。

さて、その後、捜査が適切だったかどうか、県警で内部調査が行われた。

ところが。

《内部調査の結果が文書化されていないことがわかった。(中略)理事官によると、検証会議は「午前、午後、夜と連日のように開かれた」が、「通常の会議同様、議事録はない」という。》(p131〜132)

ふーむ。警察の「通常の会議」では、議事録がないのか。

どうしてだろう、機密保持のため?

しかし、そうすると、伝達事項や決定事項を、みんなどうやって覚えているのだろう。

個人個人で、手帳などにメモとして議事録を残すのかな。

でも、それだと、機密保持の意味がない気もするし。

やっぱり、みんながすべてを頭に叩き込んでいるのか。

なるほど、「驚異の記憶力」を持っている人がいても、不思議に思わないわけだ。



 

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著者プロフィール

川渕 健二(かわふち けんじ)

おかしいものはおかしいと口に出して言えること、
他者と協同してそれを是正していける人が増えることを願う、
Z会の中高一貫コース「総合」担当者。釣りをこよなく愛する。