佐藤卓己『八月十五日の神話――終戦記念日のメディア学』(ちくま新書)を読む。
 
この本は、高校生にも薦めたい。教科書によって、終戦・敗戦・降伏の取り上げ方が微妙に異なることがわかります。事実は1つのはずなのに、なんで?と考えるところが、今まで学んできた(教え込まれてきた)歴史なるものを振り返ってみるきっかけになるでしょう。
 
正面から取り上げるのは、やや差し障りがあるようにも思われますので、脇筋からいくつか引用。
 
《メディアによって整理され再編された「記憶=歴史」の上で、私たちは自分の体験を位置づける。同時代を生きた人間の記憶も、そうしたメディアが再編した「歴史化した記憶」の枠組みから自由には存在しえない。》(p27)
 
……あれ?これは脇筋ではなく、本筋か。
 
テレビで観たことが、いつのまにか記憶のなかで「体験」になってしまっていることって、ありますよね。
 
《夏の甲子園野球大会(中略)は、一九一五(大正四)年、大阪朝日新聞社主催で開始された。夏休みの「記事枯渇」に対応して記事を量産するために企画されたメディア・イベントである。(中略)自ら主催し、呼び寄せ、取材し、そして批評する。記事はいくらでも生み出すことができる。甲子園大会はそうした夏のニュース製造機であった。》(p156)
 
他の競技では完全に黙殺されるようなエピソードというか、小ネタ満載ですよね。しかも、地方大会の段階から。いや、地方大会開催前の段階から。
 
とにかく暑くて取材が大変、という話も聞きますね。
 
《韓国の国史教科書で、日本が登場するのは植民地時代に集中しており、「戦後」現代に日本はほとんど登場しない。それゆえ、朴振東「韓国高校生の目で見た歴史教科書」(二〇〇〇年)によれば、韓国の高校生の約半分以上は、日本の「正式国名」をまだ大日本帝国と認識している。》(p219)
 
へー。そうなのか。教科書の効果って、すごいね。

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著者プロフィール

川渕 健二(かわふち けんじ)

おかしいものはおかしいと口に出して言えること、
他者と協同してそれを是正していける人が増えることを願う、
Z会の中高一貫コース「総合」担当者。釣りをこよなく愛する。