塩見鮮一郎『貧民の帝都』(文春新書)を読む。
 
公的な立場にある人が言うと失言になるようなこと、案外みんな、メンタリティとしては持っているのかもしれない。近代以降の、広義の教育の結果として。
 
たとえば、明治五年に東京府知事名で出された布告。
 
《従来乞食等へ米銭を与ふるは、畢竟姑息の情より出候事にて、其実は一時飢ダイを免れしむるのみ、却て其者を放逸に至らしむるに付、米銭を与へ候儀は一切不相成》(p68)
 
これ、社会保障費の抑制に関連して「飲んで食べて何もしない人の分の金を、何で私が払うんだ」と発言するのと、そう遠くはない気がする。
 
《江戸時代にあった仏教的な「ほどこしの文化」は完全に否定され、あまやかすとだめになるから、こまっていても助けるな、軒下で雨宿りさせてもならない。「働かざる者食うべからず」という今日につづくイデオロギーが、府知事の言葉として社会的に認知される。》(p69)
 
それでも、東京府によって設立された、お年寄りや仕事のない人や身寄りのない子どものための養育院という施設の中に、「感化部」というものを設置したとき。
 
《養育院感化部のほうは、八歳から十六歳未満で、扶養者がいなくて悪化のおそれがある者と、すでに不良の行為があり、扶養者がそれを矯正できない場合を条件にした。/最初は八十一人があつまった。小学教育、音楽教育、各種の遊戯や競技、兵式訓練、手工業など、なかば強制的におこなわれた。うまく行くはずであったが、皮肉にも、かれらによって、「普通児童」のほうが感化された。》(p143)
 
不謹慎かもしれませんが、「皮肉にも」以降、ちょっと笑っちゃいました。まあ、わからなくもない。ワルに憧れる年頃でしょう。
 
若い人たちは、知らないだろうと思うので、引用。
 
《前近代は村落内の暗黙の合意のもとで「間引き」があった。(中略)鎖国した閉鎖社会では、食糧の総量が人口を決める。江戸時代の人口はほぼ横ばいである。よほどの技術革新でも見つからなければ生産はあがらない。(中略)老人・病者・赤子にはきびしい社会であった。子を神のように大切にあつかう美風の背後には、この悲惨が貼りついている。》(p152)
 
かく言う私も、高校生ぐらいでしたか、こういうことを知ったのは。なんだか、とーっても暗い時代劇を通じて、だったかな。
 
《「同情」とか「あわれみ」の気持を封じるものが近代の思想にはかくれていた。個人主義の社会を確立するためには、べたっとした温情主義をつよく批判する必要があったのかもしれない。(中略)/これらの考えは近代の人権思想のひとつの到達点をしめしていると思うし、若年のころ、目からうろこがおちるような感動をおぼえたが、いまでは、同情・あわれみ・惻隠の情を復活させてもいいのではないかと考えはじめている。マヌーバー(策略)としか思えない「人間主義」と「平等主義」から離陸するために、もうすこし気ままに振るまえる領域をひろげる必要があるのではなかろうか。》(p242)
 
近代って、失敗だったんじゃないだろうか、とも思う。

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著者プロフィール

川渕 健二(かわふち けんじ)

おかしいものはおかしいと口に出して言えること、
他者と協同してそれを是正していける人が増えることを願う、
Z会の中高一貫コース「総合」担当者。釣りをこよなく愛する。