「学ぶ」とは、何を目指すことなのか
Z会にゆかりの深い加地伸行先生から、中高生のみなさんへのメッセージをお届けします。
その1 国語が大切

(一)
みなさんは、いま猛勉強していることと思います。なんの疑いもなく。
それはそれでいいのです。もし他人になぜかと問われたとしますと、多くの人はこう答えることでしょう、学校での成績を上げるためとか、志望校(中・高・大それぞれ)の試験に合格したいため、とか、と。
ふつうは、それで話が終わりです。なぜなら、ほとんどの人がそれと同じようなことを思っているからです。
この風景は、昔も今も変わっていません。私の場合、昭和二十七年に高校に入学しました。昭和二十年、私が九歳のとき、日本は敗戦国となり、その後もアメリカ軍が日本を占領していました。大阪にいました私は、アメリカ兵をよく見かけたものでした。
やがて高校入試。私は北野高校を受験、合格しました。入学して驚きましたのは、いわゆるデキル人が多かったことです。
某君は数学がよくできました。後に、九州大学の理学部数学科の教授となりました。彼の数学理解はプロ級でしたので、数学でわかりにくいところを教えてもらったのですが、その説明レベルが高すぎて、わけがわかりませんでした。やむをえず、数学理解のレベルが私とどっこいどっこいの友人に教えてもらいましたら、よくわかりました。
ということは、(a)本当の数学理解と、(b)形の上だけの数学理解との二つがあるということです。 そして、入試には(a)は不要で、(b)でいいということを実感しました。
では、いったい受験勉強とは何なのか、ということになります。もっと厳密に言えば、受験勉強で学ぶものとは何かということです。これは、何を〈学ぶ〉のか、その〈学ぶ〉とはどういう意味を持っているのかということです。
それを本当に理解するためには、学校制度の成り立ちや、その意味を十分に知ることがまず必要です。もちろん、それは昔から始まり、現在に至っています。長い歴史の理解ということにつながってきます。このことについて、これから三回にわたって話をしてゆきたいと思っています。
(二)
人類の長い歴史において、最高の文化とは何でしょうか。ずばり一言で表しましょう。それは言語を生み出したことです。
イヌやネコも仲間内において話しているかもしれませんが、人間のような言語を持っていません。これは人間と動物との決定的な相違です。
しかも、同じ人間でも、その言語を音声だけで使っている部族が多いのですが、さらに進んで文字を作り出した部族がいます。すなわち、話すこと書くことに由り、複雑なことをたがいに理解することができるようになったのです。
話すこと、書くこと、これは何でもないように見えますが、ものすごいことなのです。
現代ではAI関係のさまざまな技術が生まれ、すぐれた機械も生まれています。そして、それらが現代の中心となっているように見えます。
しかし、そのAIの本当の姿(本質)はどういうものか、知っていますか。
こうなのです。われわれの使っている言語は、大きく捉えますと、あることについて言えば、それは「……である」か「……でない」かの二つになります。すなわちつきつめますと「A」か「notA」かです。
ですから、長い文章を順番に次々と「AかnotAか」という形になおすことが可能です。
すなわち、ことば、文章を論理化するわけです。これは、文章を論理化することですから、一生懸命考えますとできます。どんなに長い文章でもAかnotAかのどちらかという形にできます。
そこで、その長いAかnotAかの文に対して電気を通すのです。電気はプラスかマイナスかのどちらかですので、仮にAはプラスを、notAはマイナスを通すことにしますと、電気をつけた一瞬で、最終のことばにおけるAかnotAかのどちらかを選び出せます。これがコンピュータの原理なのです。
なんのことはない。ふつうの文章を細かく文単位にきざんで、その一つ一つに対して、A(プラス)かnotA(マイナス)かに仕分けておき、そこへ電気を通しますと、プラスを選び通りぬけて、一瞬で結論を出すというのがコンピュータなのです。
ということは、言語の論理化ができるのかどうか、ということなのです。それができなくては、コンピュータは成り立たないのです。
そのためには、国語力が最も大切で、その国語力で理解したことを数式化し、そこへ電気を通して最終結論を得るということです。
ということですので、言語がどれほど重要なものか、しっかりと心に刻んでください。
遠い遠い大昔、人間が作り出した〈言語〉は、文化の最高傑作なのです。コンピュータは、電気のプラス・マイナスを利用した〈言語理解の現代版〉なのです。
このように、〈学ぶ〉とは、まず、なによりも、国語の十分な理解をするということです。もちろん、細々としたどうでもいいことは、それこそどうでもいいのです。しかし、きちんとした国語は、しっかりと学ばなければなりません。あらゆる文化そして歴史は、言語の表現なのです。数学も言語を記号で表現したものです。
となりますと、皆さんの学習において、最も大切な教科は国語ということになります。国語は嫌い、数学は好き、という人の数学理解は本物ではありません。
みなさんは、国語というとおそらく日本古典(例えば『源氏物語』など)が頭に浮かぶかもしれませんが、それは国語の一部なのです。
国語は、単なる文章を指しているのではありません。人間の考えかた、人間の心、人間の志を表す手段であり、その上に立ってその国の文化を作っているのです。

Z会顧問 大阪大学名誉教授
加地伸行 (かぢ のぶゆき)
1936年大阪生まれ。1960年京都大学文学部卒業。文学博士。高野山大学助教授、名古屋大学助教授、大阪大学教授、同志社大学フェローを経て、現在、立命館大学研究顧問、大阪大学名誉教授。専門は中国哲学。六十年来、Z会と深い関係があり、今日に至っている。