公開日 2018.5.24

「タンジブル・ビッツ」「ラディカル・アトムズ」などの独創的なインターフェイスの概念と、それを具現化したプロダクトを生み出しているMITメディアラボの石井裕先生。新しい価値を生み出し、社会を良くしていくために個人に必要なものは何か、お話をうかがいました。前編と合わせてお読みください。

◆打たれても突出し続ける力が新しいものを生み出す

僕が「タンジブル・ビッツ(Tangible Bits)」とそれに続く「ラディカル・アトムズ(Radical Atoms)」というビジョンを生み出すことができたのは、自由に意見をたたかわせて議論する、批判を恐れない、批判されてもそれに感謝しながらさらに相手を高める建設的な議論をするという、MIT、ひいてはアメリカの文化風土があったからこそという側面もあります。その対極にあるのが、「出る杭は打つ」という風土でしょう。
そのような逆風の中で、批判を恐れずに、自らの考えを深め、新しいものを生み出していくには、出過ぎるくらい強い信念をもつことです。打たれても打たれても、突出し続ける力。これを僕は「出杭力(でるくいりょく)」と呼んでいて、「道程力(どうていりょく)」「造山力(ぞうざんりょく)」とあわせて、未踏峰連山を目指す人に必要な力だと考えています。2つめの「道程力」は、詩人・高村光太郎の詩からもらった言葉で、原野を切り開き、まだ生まれていない道を全力疾走する力。3つめの「造山力」は、誰もまだ見たことのない山を海抜ゼロメートルから自らの手で造り上げ、そして初登頂する力です。造山力は、僕自身のMITでの生存競争を生き延びた経験から生まれた言葉です。1995年に私がMITを選んだのは、頂が雲に隠れて見えない高い山だったから。でも、それは幻想で、まず山をつくる、すなわち、新分野をゼロからつくる「造山力」こそがMITで生き残るための条件でした。
最近、僕が出杭力の例として、おもしろく見ているのがUber(ウーバー)です。Uberのビジネスには問題とされる側面もあるようですが、週6日間ほとんど使われずに駐車場に停まっているだけの車、難民としてアメリカに居住しているために職につけないが運転はできる人、A地点からB地点にもう少し簡単に移動したいという人を結びつけて、新しい価値を生み出すしくみ、すなわち、人や車というリソースの有効利用のためのシェアの仕方は、圧倒的に合理的で正しいと思っています。圧倒的に正しいわけですから、議論のしようがなく、いくら抗ってもいつかは受け入れなければならないものでしょう。さらに、どれだけ抵抗があっても、法廷闘争となっても闘い、突破する実行力。この、正しいことを「正しい」と主張し、なおかつ抵抗が多くてもそれを突破する力というのは強烈です。一方で、同じことを日本でやろうとすると、なかなか難しいでしょうね。
学校や会社、国、すべてが皆応援してくれる世界というのはまず来ないでしょう。ただ、今はグローバル化した時代ですから、日本に留まろうが海外に出て行こうがあまり関係ありません。新しいものを生み出すための必要条件でもっとも大事なのは、突出した個人です。強い信念をもち、摩擦もいとわない。そうした個がいなければ、新しいものは生まれてきません。

◆突出した個人になるために必要な「知性」

突出した個人になる方法は、教わるものでも、教えられるものでもありません。自分を突き動かす何か根源的なもの、たとえば、僕の父が第二次世界大戦時にシベリアの強制収容所で経験したような強烈な飢餓感、あるいは、最愛の人を失った悲しい体験など、強烈な体験が突出した個人をつくります。もしくは、先人たちのこれらの体験を想像し理解できる知性をもっているか。みなさんの中には、楽しく、おもしろく、リッチに生きようとしている人も多いのではないでしょうか。一方で、世界には飢餓、虐待、戦争など、とんでもないことが起きている。自らを根源的に突き動かす強烈な体験がないのなら、これらを理解できる想像力と知性、そして感性を鍛えることです。

◆知性を構成する3つの力

たいせつなことは、論理的インテリジェンス(文字の読み書きはもちろん、文章を論理的に書くことができる、論理的な議論ができる)、そしてコンセプトを生み出せる抽象度の高いコンセプチュアルなインテリジェンス。要は、物事を抽象化し、一般化して考える力です。
たとえば、「タンジブル」というのは非常によくわからない言葉です。例を見なければなかなかわからない。そのように、世の中の現象をメタファー(暗喩)として理解し、それを何かにマッピングしてものを考える力です。
さらに重要な3つ目のインテリジェンスは、ソーシャル・インテリジェンス。人の痛みを自分の痛みとして想像できる力、人とコラボレーションできる力です。多くの人々が十分なソーシャル・インテリジェンスをもっていないがために失敗をしています。人の痛みがわかるには、その人の立場になってものを考えなければいけません。
たとえば、僕は日本語を話すことができますが、英語を完璧に話せない人の痛みを知っています。自宅のAIスピーカーが僕の話したことを聞き取れないとき、アメリカで育った娘たちは「お父さんの英語ってダサい、アクセントが変」と笑い、そのたびに僕は落ち込み、劣等感を抱くから。でも、技術的に考えると、AIスピーカーのアルゴリズムを、日本語のなまり、すなわちカタカナに近い発音・アクセントで解釈するように変えればいいんです。このように、痛みを理解し、なおかつそれを補足するようなクリエイティブなアイデアを出せる。これがソーシャル・インテリジェンスであり、知性を発揮するということです。

◆自分のヒーローを見つけよう

中高生のみなさんに今伝えたいことは、自分のヒーローを見つけてほしいということ。そして、生きている間にその人に会って、その人が出しているオーラを浴びてほしい。それが自らの挑戦に向かわせるエネルギー源としてとても大事だと思いますね。僕のヒーローは、ダグラス・エンゲルバートという1950年代に「コレクティブ・インテリジェンス(CollectiveIntelligence)」というものすごいビジョンを提示し、かつ、マウスの共同発明者でもある方です。彼の存在があったからこそ、今の自分があるとつくづく思います。
彼が「コンピュータと通信は、これから人類が衆知を集めなければとても解決できない問題を解決するための大事なメディアになる」というコレクティブ・インテリジェンスのビジョンを提示したのは1950年代です。それ以降、彼の取り組みは常に時代の先端を走り続けていた。僕は1980年代から90年代にかけて3度彼の講演を聴く機会を得て、2007年にはついに直接会い、議論する機会を得ましたが 、彼に会いたいという思いや、念願がかなって会えたときにものすごくインスパイア(感化)されたことが、僕を研究に向ける強烈なエネルギーになっていますね。有名な人は皆忙しいですから、どこの馬の骨かわからない無名の人間になんて簡単に会ってはくれません。そこで感じる悔しさや「必ず見返してやる」「あのときに会っておけばよかったと思うくらいの仕事をしてみせる」という気持ち、屈辱感ですね。これこそが、エネルギー源となるのです。
エネルギー源となるのは、屈辱感だけではありません。「飢餓感」「孤高感」もです。飢餓感については、父がシベリアの強制収容所に収容された話をしましたが、僕の父は、東京のアパートで魚を骨以外、目玉も内臓も全部食べました。目の前のものが食べられるかどうか0・5秒で見極め、次の0・5秒で食らいつく。その飢餓感を自分の中に内包化し、目の前のおもしろい素材やアイディアに即、食らいつく飢餓感は欠かせないものです。孤高感については、真にクリエイティブなことをすると、誰にも理解してもらえません。論文も通らず、研究資金もつかず、誰からも評価されない。厳しい孤独感を経験する。それでも、そういう状況に行き着くことを目標とすべきだ。この3つが、僕の研究のエネルギー源なんです。

プロフィール

石井 裕(Hiroshi Ishii)
アメリカ・マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ 教授。北海道大学工学部電子工学科、同大学院情報工学専攻修士課程修了。電電公社(現・NTT)勤務ののち、西ドイツのGMD 研究所客員研究員、NTT ヒューマンインターフェース研究所などを経て、1995 年、MITメディアラボへ。「タンジブル・ビッツ」の研究で世界的評価を得る。2001 年には日本人で初めてMIT MediaLab 教授として、終身在職権を得た。

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