公開日 2017.12.11

そもそも、「考える」とはいったい何をすることなのでしょうか? 軽やかな語り口で「考える」の本質を解き明かそうとした本『はじめて考えるときのように』の著者である哲学者の野矢茂樹先生をお訪ねし、お話をうかがってきました!

「考える」の二つのタイプ「分析的思考」と「創造的思考」

── 私たちは「自分の頭で考える」という言い方をよくしますが、どういうことなのかがはっきりしないまま「考える」という言葉を使っている気がします。「考える」とは、いったいどういうことなのでしょうか?

確かに「考える」って何をすることなのか、よくわかんないですよね。まずは二つのタイプに「考える」を分けるとよいと思います。ひとつは「分析的に考える」ということ。もうひとつは、「創造的に考える」ということです。
「分析的に考える」というのは、何か情報が与えられたときに、自分の目的に応じて情報の内容を引き出していく、変形していくということ。情報の中にあらかじめ含まれていることを活用していく方法ですから、何か新しいものを生み出す仕事ではないわけですよ。
たとえば、お昼ごはんを食べようと思ってお店に入り、メニューを見る。ラーメンが五百円、ギョーザが四百円。ラーメンとギョーザのセットなら八百円。それぞれ単品で頼むよりもセットで頼んだほうが百円安いなと気づきます。これが情報を活用するということ。メニューにすでに書かれていることから引き出しているわけで、日常的にやっていることですよね。
もうすこし別の例を出すと、古代ギリシャで確立したユークリッドの幾何学では、最初にあたりまえのような公理が並んでいます。そういう単純な公理から出発して、三平方の定理のような複雑な定理を証明していく。だとすると、三平方の定理は最初に与えられていた公理の中に情報としてすでにあったもので、新しいものではない。最初に与えられた情報を最大限に活用するために情報を切り分けたり組み合せたりしていく。これが「分析的に考える」ということなのです。
もうひとつの「創造的に考える」こととは、新しいアイデアを得ること、飛躍していくことです。さっきのお昼ごはんのメニューで言えば、ラーメンとギョーザをセットで頼むと単品で頼むより安いってことはメニューを見たらわかるんだけど、それだけでは自分が何を注文するのかは決められませんよね。あれこれ「考え」た結果、最終的にはチャーハンを注文する。こういうときにも私たちは「考える」と言うのですが、べつに分析しているわけではありません。ただ自分の気持ちが湧いてくるのを待っているだけ。この「考える」は、ほとんど「待つ」ことなんです。思いつきやひらめきはどうやれば出てくるのか、いつ出てくるのかわからない。だから「待つ」しかない。
これら二つの「考える」を区別するのが出発点でしょうね。

「分析的思考」と「創造的思考」を身につけるためには

── まず、「分析的に考える」場合、情報の引き出し方はどうすれば身につけられますか?

その情報の中にどういうことが含まれているのか、それを組み合わせると何が出てくるのかというのは、広い意味で論理です。論理とは言葉で言われた情報を組み合わせて、その帰結を導いていくこと。
ふだんから言葉と言葉のつながりを意識し、根拠とともに意見を述べたり、相手の意見に対して根拠を尋ねたりする。そうした習慣をつけることで、前提と帰結の関係が見やすくなるでしょうね。
分析的に考える力、論理を使って考える力は受験勉強でもずいぶん鍛えられると思いますよ。入試問題はだいたい三つのレベルに分けることができて、ひとつは暗記で解けちゃう問題。分析もいらない、ひらめきもいらない。もちろん、これでは思考力は身につきません。次のレベルには問題を十分に分析すれば答が出てくるけど、ひらめきはいらないという問題がある。そして最後が、ある種のひらめきを要する問題です。
数学の問題はひらめきが必要だと思われることが多いけど、実はひらめきがいらない問題もけっこう多い。問題に含まれている情報をきっちり取り出していけば、ひらめきがなくてもちゃんと答に行き着く。そうした問題は、分析や論理の力を身につけるのによい訓練になると思います。


── では、「創造的な思考」はどうしたら身につくのでしょうか?

「分析的な思考」は技術を身につければだんだん熟達します。一方、「創造的な思考」に必要なのは技術ではなく、むしろ「体力」です。
たとえば、哲学ではひとつの問題を十年間考え続けるなんて、そんなに珍しいことじゃない。もちろん毎日そればかりを考えているわけではないけど、つねにその問題が頭の片隅にある。こういう状態が十年間ずうっと続くわけです。
私が若かったころと比べると、いまの中高生は待つ力、知的な忍耐力を育てにくい環境にいると思います。知りたいことをネットで質問すれば、おせっかいな人がいくらでも教えてくれますからね。そういう世界の中だと、わざわざ自分で考えなくても答えはどこかにある、という感覚になってしまう。正解があるという感覚があると、考えようというモチベーションがなくなってくるわけです。
でも、どんなことにも正解があるわけじゃない。人の意見は実にさまざまですよね。だから、他人の意見の中に正解を探そうとしても、自分がどっちに行っていいのかわからなくなる。結局、自分自身で考えるしかないという場面がこれから必ず来ます。この多元的な世の中で支離滅裂にならないで一貫した自分を保つには、自分自身で考え、自分で考えたことに対して自分で責任をもって関わっていくことが大切。そうでないと自分を見失ってしまう。だから、すぐに答えが出なくても諦めない「体力」を、まずはつけようということになります。そういう体力をつけるには、受験勉強が役に立つと思うんですよ。
先ほど入試問題の三つのタイプをあげましたが、三つめはひらめき、新しい洞察を要する問題でした。正直、入試本番でこのタイプの問題に取りかかって答がひらめくのをひたすら待っていたら不合格になっちゃいますが……せめて受験勉強ではときどきそういうことをしてみましょう。わからない問題を抱えて、一日くらいは考えこんでみる。そうした経験が、のちのち簡単には答が出せない問題に自分が立ち向かっていくときの力になるんです。

野矢茂樹先生Shigeki Noya

(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授)
専門は、現代哲学、分析哲学。主著は哲学の伝統的難問への答を追究した『心という難問 空間・身体・意味』(講談社)。その他、『はじめて考えるときのように』(PHP 研究所)、『入門!論理学』(中公新書)、『新版 論理トレーニング』(産業図書)、『哲学の謎』(講談社現代新書)など、平易な言葉づかいで哲学や論理を語った著書も数多い。最新刊は『大人のための国語ゼミ』(山川出版社)。元Z会員でもある。

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・【特集】「考える」を考えたことある?
「“よく”考える」とはどういうことなのか、あなたは説明できますか? 
正解のある数学の問題について考えることから、将来の進路のような正解のないことを考えることまで、私たちが日常で行っている「考える」とはいったいどういうことなのか、野矢茂樹先生をはじめとする3人の先生のお考えを伺いながら「考えて」いきます。