ヒトの芸術活動の鍵は、「見立ての想像力」

芸術活動をする生き物はヒトだけだと言われています。先生は進化の観点から「描くという行為がどのように生まれるか」について、チンパンジーとヒトの子どもの比較研究をしていらっしゃいますが、どのような違いがあるのでしょうか。

チンパンジーというのは、600万年くらい前にヒトと同じ祖先から分かれた、現存している中でいちばんヒトに近い生き物なんですね。そこでチンパンジーに絵を描いてもらって、ヒトとの違いを研究してきました。何が同じで、何が違うか。異なる部分があれば、それはヒトが独自の進化の過程で身につけた特徴だといえるわけです。

実際にチンパンジーに絵を描いてもらうと、曲線を重ねたり、点描画のように筆を置いたり、色を塗り分けたりと、それぞれ個性というか画風が異なって、「いいなぁ」と思う作品も結構あるんですよ。ヒトの抽象画家の絵を紛れ込ませて、「人間が描いた絵はどれでしょう?」というクイズをやっても、結構みんな間違えます(笑)。


▲チンパンジーのアイの絵(左)とパンの絵(右)では画風が違う(齋藤 , 2014)

そんなすばらしい抽象画を描くチンパンジーですが、絶対にやらないことがあるんですね。それは、顔やバナナなど具体的なものの形を描くこと。つまり具象画は描かないんです。たとえば顔の輪郭の線の中に鼻と口と右目だけを事前に描いておいても、ない左目を描きこむことはありません。全体に線を引いたり、顔の輪郭の線をなぞったり、描かれた右目の上をグルグル塗りつぶしたりはするけれども、そこにない左目を想像して描く力がチンパンジーにはないのです。

ではヒトの子どもはどうかというと、2歳後半ぐらいから描かれていない目を補完して描くようになります。白い紙に二本の線が平行に描いてあると、線を描き足して「線路」にしてしまうのも、だいたい2~3歳ぐらいからですね。

この「描線を何かに見立てて、そこにないものを想像する力」というのが、チンパンジーにはない、ヒト特有の能力なのです。私は、これこそが芸術が生まれた鍵になるところではないかと考えています。

以前、スペインのアルタミラに1万8千年ぐらい前(旧石器時代後期)の洞窟壁画を見に行ったのですが、天井の岩のふくらみ一つひとつをバイソン(ウシ科)に見立てて描いていて、さらに寄って見てみると、もともとあった岩の亀裂の線に足りない線を補って絵に仕立てているものがたくさんある。つまり、ヒトはこの時点ですでに「ものを見立てる想像力」を使って絵を描いていたんですね。


▲チンパンジーは、顔の輪郭など描かれて「ある」部位をなぞり(左)、ヒトの 3 歳児は目や口を描き入れるなど、「ない」部位をおぎなう(右)(Saito, et al., 2014)

生まれつきの力ではなく、2歳後半ぐらいから「見立ての想像力」が生まれるのには、何か理由があるのでしょうか。

一般的に、2歳後半ぐらいからが語彙が爆発的に増える時期だと言われています。

私たちはものを見えるままに見ているつもりでいますが、言葉をもつと、ヒトのものの見え方自体が変わるんです。つまり、目に入ったものに言葉のラベルをつけて、あれはなに、これはなに、といった言葉のラベルの世界の中に住むようになる。語彙が爆発的に増えると、あらゆるものに名前がついているということが体感としてわかってくるので、たとえば雲を見たときに「あ!ウサギに似てる!」とか、「これは顔みたい」というように、類推して見立てることができるようになるわけです。

「おもしろいから」が芸術の原動力

「進化」ということから考えると、アートというのは、必ずしも生きていくうえで必要なものではないですよね。何万年も前からヒトが芸術活動をしてきたということは、私たちの中に潜在的に描きたい衝動のようなものがあるのでしょうか。

確かに、芸術の定義として「生活に直接役に立つわけではない」ということがあります。ではなぜヒトは絵を描くのか。私は「おもしろいから」というのが答えではないかと思うんですよ。

絵筆やペンを手に持って動かすと、白い紙の上に何かが出てくる。動かし方を変えるとまた違うふうに出てくる。自分が何かしら世界にはたらきかけた結果として、線や色が生み出されてくる、それを探索するプロセスがおもしろいというのが根底にあるのではないか。

これはチンパンジーも同じで、とくに食べ物などの報酬をあげなくても、線を描いたり、紙全体を塗りつぶしたり、色ごとに塗り分けたり、それ自体をおもしろがってやるわけです。

さらにヒトの場合、「見立ての想像力」が出てくると、自分が描いた線にいろいろなものを発見するというおもしろさが加わります。手を動かして描いた線が急に顔に見えてきたりする。そういった、何かを発見したり、イメージを想起するというおもしろさが二段階目にあって、三段階目には、他者とイメージを共有するおもしろさが生まれてくるんですね。何かを表す表象を描き始めると、「何を描いたの?」「アンパンマン!」「これはママのお顔かな?」「これが目で、これがお口だよ」といった他者とのコミュニケーションがたくさん出てきます。最初は自分にとってのおもしろさがモチベーションだったものが、人と共有するおもしろさ、人に見せてわかってもらう喜びといった社会的なものへと移っていく。それがヒトなのかな、と思っています。

「!」と感じた心を表現するのが「アート」

とはいえ、「絵が描けない」「美術は苦手」という人は意外と多いように思います。どうしたら苦手意識をなくして、絵を描いたり何かを作り出したりすることを楽しめるようになるのでしょうか。

描いた絵をほめる言葉って案外貧弱で、「上手だね」くらいしか出てこないんですよ。この「上手」という言葉は、たいていが描こうとしている対象を写実的に描いているときに言われるので、そういう絵でないと「上手」と言われず、「自分には才能がない」と思い込んでしまう。

でも本当は、アートには正解も、上手下手もありません。はじまりはただ線を引くのが楽しい、手を動かして何かが生まれるのが楽しい、というところから出発しているので、苦手な人ほどなぐり描きに戻って、線を描くことの気持ちよさを体感してもらいたいなと思いますね。

アートって、すごく高尚で一部の限られた人がやるものだと見られがちなのですが、アートの本質は、誰もがもっている、身のまわりの出来事や現象に目を向けて驚きや感動、つまり「!」と感じる心だと思うんですよ。

「!」というのは、そのときによって「いいなぁ」のこともあれば、「ドキドキ」や「ざわざわ」のこともあります。たとえば外に出て、空を見上げて、「あぁ、空が青いなぁ」と心がちょっと動いたら、その感覚に自分を浸して、心の動きを見つめてみる。この「!」と感じた心を絵や色や形や音に表現していくのが、「アート」なんです。

日常生活の中で「!」を感じるコツってありますか。

少しだけ頭をゆるめる、心をゆるめることでしょうか。初めから頭でっかちになって知った気でいたり、必要な情報を得ようとしてものを見るのでは、「!」は湧いてきません。小さな子どものころのように、体を通して、五感を使って世界を見たり感じたりすることが重要なのかなと思います。

あとは、視点を変えて見ることですね。正面から見たり裏から見たり、横から、上から、下からと見る角度を変えてみる。カメラのように寄りの視点で細かい部分を見たり、引きの視点で全体をとらえたりしてみる。視点を変えると、世界はまるで違って見えて、いろいろな気づきがあると思いますよ。

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アートで養われる柔軟な視点で、行き詰った気持ちが楽になる

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