あなたの鑑賞スタイルは
「感動型」? 「教養型」?

映画や小説や音楽は気負わず自由に鑑賞して楽しめるのに、いざ美術作品となると、「難しい」「理解できない」「どう楽しんだらいいのかわからない」と、抵抗を感じてしまう人が多いように思います。

みなさんは、美術館でどんなふうに美術鑑賞をされるでしょうか。
よくあるのが、好きな絵をじっと眺めて、雰囲気を味わいたいという「感動型」と、音声ガイドを聴いたり、解説や図録を読んで理解したいという「教養型」の鑑賞スタイル。

作品を見て、「いいなぁ」と感動するのは悪いことではありませんし、鑑賞の(だい)()()の一つです。しかしそれは鑑賞の出発点にすぎず、それで終わってしまってはもったいない。
一方「教養型」は少々曲者で、音声ガイドや解説にいろいろ教えてもらって、わかったつもりにはなるのだけれども、自分の目では何も見ていないことが多いんですね。はたしてそれで美術を鑑賞したことになるのか。
とくに中高生の若いみなさんが、既存の知識や誰かの目で見た一つの見方を教わって納得して、「美術鑑賞ってこういうものなんだ」と誤解してしまうのは怖いと思っています。

では、ちょっと美術鑑賞をしてみましょうか。こちらのリンク先にある絵を見てください。
菱田春草(1874年-1911年)の描いた《落葉》という屏風絵ですが、この絵を見て何を感じますか。どんなことを考えますか。

菱田春草 《落葉》
菱田春草《落葉》(右隻)1909年、永青文庫美術館 所蔵
※文化庁の「文化遺産オンライン」 のサイトに飛びます。上記のタイトルをクリックしたら、右向きの矢印▶をクリックして、2番目の絵を見てください。
今回鑑賞している絵への直接のリンクはこちらです。


北海道の中学2年生とこの絵を鑑賞したときには、「失恋した後に恋が芽生えて、緑色の木が生えてきたとき、という感じ」「緑の木は夏を表していて、絵全体は夏が終わったあとの秋とかみたいで、鳥は来年の夏が待ち遠しいんじゃないかな」といった発言が出てきました。

どうですか。
最初の発言をした人は、失恋や恋の芽生えといった自分の経験や関心のあることと結びつけて、緑の木が描かれていることを考えたわけですね。
次の人は、絵をすみずみまで観察して鳥を発見した(鳥がどこにいるかわかりますか?)。なんで鳥が一羽描かれているんだろうと考えて、夏が待ち遠しいという、冬が長い北海道に暮らす自分の願望と重ねて解釈したわけです。

どちらの人も、自分にとってこの絵がどう見えるのか、自分はこの絵をどう考えるのか、という絵の見方をしています。このように「自分ごと」として作品を鑑賞するスタイルを、私は「意味生成型」と名づけています。

「教養型」の鑑賞スタイルが、既存の知識やほかの人の考えを学ぶ、言ってみれば「受動的な鑑賞スタイル」であるのに対して、「意味生成型」の鑑賞というのは、観察したことに、自分の経験や関心、知識などが加味され、想像力を発揮して自分なりの意味、解釈を作り出していく「主体的な鑑賞スタイル」になっているのが、わかりますでしょうか。

鑑賞に使う4つのツール
<ルーペ・鏡・メモ・鍵>

受動的な見方と主体的な見方の違いについてはよくわかりましたが、そもそも美術作品をどう観察すればよいのかわからない、という人も少なくないのではないかと思います。鑑賞する際は、具体的にどうすればよいのでしょうか。

私はわかりやすく、美術鑑賞には4つのツール ―「ルーペ」「鏡」「メモ」「鍵」― が必要だ、という話をしています。

鑑賞というのはまず、「ルーペ」を使って観察することから始まります。
そこに何が描いてあるかを、配色や形の特徴、構図、質感、光と影など、細かい部分から全体まで分析的に観察する。近づいて見たり、離れて見たり、角度を変えて見たり、全体から細部へ、細部から全体へと視線を変えながら観察することで、最初見えていなかったものが見えてきたり、気づかなかったことに気づいたりと、いろいろな発見があるはずです。

試しに、「観察する力」のごく簡単なテストをしてみましょうか。
ヨハネス・フェルメール(1632年-1675年)の《夫人と召使》を、1分くらいよく見て、何が描かれているかを観察してください。この後、質問をしますよ。

ヨハネス・フェルメール 《夫人と召使》
Johannes Vermeer Dame en dienstbode(ca. 1666−67)Frick Collection
※所蔵している、フリック・コレクション のサイトに飛びます。上記のタイトルやこちらのリンクをクリックして鑑賞しましょう。

では質問。「右側の女性はどんなアクセサリーを身につけていましたか」。

「左耳に大きな水晶のような耳飾り」「真珠のネックレス」「真珠のネックレスを留める白いリボン」「白い波線模様の焦げ茶のシュシュのような髪飾り」「前髪に薄い生地のベールがかかっている」―どうですか。答えられましたか。

もう一つ。和風の木箱はどこにありましたか。

テーブルの左端に置いてあったのに気づいていたでしょうか。

このように、鑑賞をする場合はすみずみまで見て、何が描かれているかということを視覚情報としてしっかり確認する、そういう観察のしかたが大切になるわけです。まんぜんと見ているだけでは、「見た」ことにならないのです。

次に「鏡」というのは、「作品を鏡として自分を映す」という意味です。
観察して見たことや感じたことを自分の経験、関心、知識などと結びつけ、「何が描かれているんだろう」「どんな場面なんだろう」「この形は何を意味しているのかな」「どうしてここに赤があるんだろう」「なぜこの人物は左を向いているのか」などと疑問に思ったり、考えたり、想像したことを総合して、自分なりの作品の意味、解釈をつくっていくわけです。

作品によっては、自分がその絵の中に入り込んだとして、その場の音や声や香り、自分の視点からどんな風に見えるか、光や風、気温や湿度、空気感、雰囲気などを、五感を使って想像することもできます。

たとえば、エドワード・ホッパー(1882-1967)の《ナイト・ホークス》の絵の中に入り込んでみましょうか。

エドワード・ホッパー 《ナイト・ホークス》
Edward Hopper Nighthawks(1942)The Art Institute of Chicago
※所蔵している、シカゴ美術館のサイトに飛びます。上記のタイトルやこちらのリンクをクリックして鑑賞しましょう。

店内は温かいですか? どんな香りがしますか? 窓の外はどんな風に見えるでしょう? ここはどんな場所なのでしょうか? 4人の人物はどんな関係で、何を話しているのでしょうか? あるいは、心の中でどんなことを考えているのでしょうか?

学校の授業では、4人組を作り、絵の中の4人になってドラマを作ることをやりました。それぞれがいろいろなドラマを考えるので、とてもおもしろい。毎回クラス中が大ウケします。
このように、観察したことを根拠に想像して自分の解釈を作ってみると、作品はぐっと身近なものになるんですね。

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「アートワーク」と「アート」の違い 美術作品を美術たらしめるものとは?

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