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<あなたのまわりのサイエンス>

生き物も人も生かされている?

皆さんは、スポーツや音楽や科学などで、だれもが知ることになるような業績を残したいと思いますか。

【2015年3月26日】


 

遺伝子(gene)とミーム(meme)の争い 生き物も人も生かされている?

 
 サッカーの歴史に残るようなゴールを放つ。100年後の人々も口ずさむような歌をつくる。教科書に載り続けるようなノーベル賞級の発見や発明をする・・・。こんなとき、人々は「この世に生まれてきて、この人生を歩んでよかったな」と、思うことでしょう。「生きがい」を感じるわけです。
 人間以外の生き物でも、同じような気持ちになるでしょうか。猫が「大きなサンマを見つけた。生まれてよかった」とか、犬が「縄張りが3丁目まで広がった。生きてきたなかで最高の日」とか、生きがいを感じるかというと、どうもその様子はありません。そうだとすれば、生き物は何のために生きるのでしょうか。
 こんな素朴な疑問に対する答えの1つが、リチャード・ドーキンスというイギリスの動物行動学者が示した「利己的な遺伝子」説です。
 生きるものの形や性質などを決める遺伝子には、常に生き延びようとし、また自分を複製しようとするしくみがはたらいている。生き物が餌や栄養を求め、次の世代を生むのも、すべて遺伝子が自分を生存させ、複製しようとしているからだ。このようにドーキンスは考えました。

人間の生き方を 支配するのは遺伝子と・・・?

 ペンギンが寒さの中でじっと耐えて卵をかえすのも、スギが花粉をたくさん飛ばすのも、「利己的な遺伝子」説によれば、遺伝子が自分をより長生きさせて、自分のコピーをより広めようとするしくみをもつからとなります。もっとも、「利己的」とか「広めよう」などと書くと、遺伝子が意思を持っているように聞こえますが、そうではありません。そのように考えるとつじつまがあって理解しやすいということです。
 「利己的な遺伝子」説は、説明のつきやすさ・わかりやすさなどが手伝って、「なぜ生き物が生きるのか」に答える主流の考え方の1つとなりました。わたしたち人間も生き物ですから、この「利己的な遺伝子」説があてはまるのかもしれません。恋人どうしが結婚し、赤ちゃんを生むのも、遺伝子の立場からすれば、遺伝子が自分をコピーするためとなります(次の世代では半分になりますが)。
 しかし、人間に限っては、生きることを支配するのは遺伝子だけではないのかもしれません。ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』(紀伊国屋書店)の中で、「新種の自己複製子がまさにこの惑星上に登場しているのである」と述べています。「自己複製子」とは、自分を増やそうとするもののこと。遺伝子のほかに、自分を増やそうとするものがこの世には存在するというのです。それは何でしょう。
 ドーキンスは、それは「ミーム」だと述べました。ミームこそが人間の生活を支配するもう1つのものだというのです。ミームは「文化の伝達や複製の基本単位」と説明されます。ますます「?」かもしれません。こんな例を考えてみましょう。
 この記事を読んでくれたあなたが、ミームのことを知って、お子さんに「ねえ、ミームって知ってる? 文化を伝える単位なんだよ」と、ミームの話を紹介してくれたとします。この場合「ミーム」というミームが、あなたからお子さんの頭脳にコピーされたことになります。

遺伝子vs.ミームvs.わたしたちの意思

遺伝子もミームも「自分を複製しようとするしくみがはたらく」という点で似ている。ドーキンスによると、遺伝子にとってもミームにとっても寿命が長いこと、多産であること、複製が正確であることが、成功を収める(自分をコピーしていつまでも生き残る)ための特性になるという。

 生物学的な遺伝子「ジーン(gene)」と文化的な遺伝子「ミーム(meme)」には、似ている点がいろいろとあります。生物学的な遺伝子は、親から子へと「遺伝」します。また、環境に適したものが生き残るという「淘汰」があります。また、DNAのミスコピーによる「変異」もあります。
 一方のミームにも、同じことがいえます。ちょっと例が古いのですが、プロ野球の長島茂雄さんが現役を引退したときに言った「巨人軍は永久に不滅です」という言葉で考えてみます。この言葉は、球場のマイクからラジオやテレビなどの電波、新聞や雑誌などの活字にのって、人から人へと「遺伝」しました。また、その年に生まれたさまざまな流行語が忘れられ「淘汰」が起きる中で、今でも名言として生き残っています。更に「永久に不滅」が「永遠に不滅」にまちがえられるという「変異」も起きています。
 遺伝子もミームも、自分をコピーするという目的により、わたしたちに影響を与えるようになりました。場合によっては、遺伝子とミームが対立して、生き残りをかけた争いすらするのです。たとえば、スリムな体型をめざそうとしてダイエットに励む人は多くいます。この「ダイエット志向」は、スリムな体型のほうが人から評価を受けやすい(モテやすい)という文化の中で生まれたミームといえます。けれども、スリム体型になることは、生きるために必要な栄養が取りにくくなることでもあります。これは、遺伝子にとっては都合の悪いことかもしれません(摂取カロリーを制限したほうが長生きするという話は置いておきます)。
 ときには目的が合い、ときには対立する遺伝子とミーム。この二つの自己複製子に、わたしたちの生き方は揺り動かされるだけなのでしょうか。ドーキンスの答えは「ノー」です。わたしたち人は、遺伝子にも、ミームにも支配されない生き方をすることができるといいます。なぜなら、未来のわたしたちがどうなっているかを、遺伝子やミームに支配されるよりも先回りして考えることができるからです。「将来、自分はこんなふうになっていたい」という意志は、とても強いものなのだと思います。 

漆原 次郎(うるしはら・じろう)

1975年生まれ。出版社で8年にわたり科学書の編集をした後、物書きに。小難しいけれど魅力的な科学・技術の世界を伝えています。
小話ブログ「科学技術のアネクドート」(http://sci-tech.jugem.jp)日々更新中。


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