答案講評 12月の回答選と解説

中2
総合|答案講評 中2 12月

今回の課題

今回の答案講評では、以下の課題について取り上げます。

会話文と資料1〜資料3に基づいて、「天皇」の称号がいつから使用されたと考えるか、あなた自身の考えを、根拠を示しながら300字以内で述べなさい。

「天皇」という称号がいつから使われたのかを題材として、提示した資料などをもとに自分なりの歴史的な見解を見出し、他者に説明するという課題であった。歴史的に正しい解答であるかどうかではなく、自分なりに考察し、根拠を示しながら考察結果を読み手がわかるように説明することが今回のポイントである。

答案拝見

先生

資料を分析して歴史を考えるという不慣れなテーマに苦戦した様子がうかがえた。答案については、はじめに「天皇」の称号が使い始められた時期をいつと考えるかについて見解を明言してから、その根拠を述べていくという明確な構成で書いているものが多かった。ただし、字数に限りがあるためか、言葉足らずであったり説明の一部を省略していたりして、説明が不十分であり読み手にとっては論理が飛躍しているように感じる答案も散見された。制限字数を守りながら不足なく説明するには、解答に盛り込む要素に優先順位をつけた上で文章の構成を検討すること、解答を書き終えたあとに読み直すことが重要である。
49-20185-1さんは、推古天皇のころから「天皇」という称号が用いられるようになったという立場をとり、示された資料を用いながら論理的に説明できていた。また、「天皇」という称号が使われ始めたのが推古天皇の頃だが、広まったのが天武天皇の頃である、という段階があった可能性を、それぞれの資料の特徴をふまえた上で指摘してくれた。
一方、09-92772-7さんは、天武天皇のころから「天皇」の称号が使われたという見解で論じてくれた。『日本書紀』と木簡の記述の内容や、用途の違いを押さえ、「天皇」の称号が使われ始めたタイミングを考察してくれた。
このように、資料のどの点に着目して考察するかによって、歴史の見方は大きく変わることがある。資料を考察するのは大変だったかもしれないが、この問題のように資料をもとに思考を巡らせて自分なりの歴史像を構築していくのが歴史の面白さのひとつである。まずは普段の歴史の学習から、教科書に掲載されている資料について、単に名称を覚えるだけでなく、内容をじっくり確認してみるとよいだろう。

49-20185-1

私は天皇という称号がついたのは推古天皇のころであり、庶民に浸透していったのは天武天皇のころであると考える。まず、『日本書紀』のなかで推古天皇の遣隋使が608年に送った国書に天皇の文字が入っていたという資料から、当時の高級官僚たちは天皇という称号を使っていたと考えられるが庶民が使っていたかどうかは分からない。しかし、677年に書かれた木簡には天皇の文字が入っている。木簡は庶民が税を納める時に荷札として使われていたものなのでその頃には庶民にも広まって日本全国で使われていたと考えることができる。よって推古天皇から天武天皇までの80年ほどで広まったであろうと考える。

09-92772-7

私は、「天皇」の称号が使い始められたのは、天武天皇のころだと考える。
「天皇」の称号が使い始められた時期については推古天皇のころと天武天皇のころの2つの説がある。720年に成立した『日本書紀』において、推古天皇のころの出来事に関する記録では「天皇」という記述があるが、これでは神武天皇以下すべてにおいて「天皇」の称号が用いられているため推古天皇のころだとは言いがたい。また、677年に記された木簡には「天皇」の文字が見られる。木簡は後世に残すための文書として書かれなかったので、当時書かれたままの可能性が高い。
これらの理由から、「天皇」の称号が使い始められたのは天武天皇のころだと考える。