クリティカル・シンキング/みんなの意見 8月の回答選と解説

中2
総合|みんなの意見 中2 8月

今回の課題

みんなの意見8月(中2)のテーマは以下のものでした。

あなたが裁判官なら,公民館の月報への俳句の掲載を巡る訴訟に対して,どのような判決を言い渡しますか。あなたの考えを書いてみよう。

自治体の公民館の判断が果たして表現の自由の侵害になるのかどうか。そもそも「公」的権力がどこまで「私」的領域に介入してよいものなのか。人によって考えが異なるからこそ、多くの人が納得できる落としどころを考えてみてほしい。

今回の回答選

猫にまたたび

私は俳句を掲載しても良いと思う。なぜなら、作者は明確な理由があって、この俳句を作っている。もしこの俳句を掲載しても、それは1人の意見として伝えることができる。たくさんの人に見てもらうことで、より良い意見がたくさん集まるかもしれない。どんな意見を持つのも個人の自由。それを中立を保つために掲載しないのは違うと思う。もし中立を保ちたいなら、作者の許可を得て、この俳句についての批判は作者に言ってくださいと書けばいいと思う。

 

確かに。様々な意見を表明できる「場」を提供するのが「中立」ということだね。

penguin

自分だったら俳句の掲載を認める。公民館などのメディアがあまりに厳しく政治問題に関する声や作品を掲載しないと民衆が何を考えているかが伝わらないし、公民館などが中立を大事にしすぎて政治のことを何も伝えないと徐々に誰も政治について考えなくなるから、この場合は中立性、公務員の政治行為の制限より表現の自由が大事だと思った。

 

もし「中立」が政治に一切タッチしないことであるとしたら、それは現在の政治を暗黙のうちに肯定していることになる。たとえそれがどんな政治であろうとも、だ。マルティン・?ニーメラーの有名な詩を思い出した。

ここ

自治体の公民館に対して、違憲の判決を言い渡します。理由は、公民館側がその月の俳句の掲載を拒否するのであれば、「世論を二分するテーマは避けるように」との但し書きをつけておくべきであったからです。そのような但し書きがない場合には、俳句の作者は、俳句会で選ばれた自分の作品が掲載拒否されたことに対して、表現の自由を訴えることができると思う。

 

さて、そして翌年からは「世論を二分するテーマは避けるように」という但し書きがつけられたとしよう。公民館側が、きわめて恣意的に掲載の可否を判断できることに気づくはずだ。そもそも、世の中には「世論を二分」しないようなテーマのほうが少ないからね。

Enjoy Baseball

私は作者が作った俳句を許可する。なぜなら、今の憲法について考えるときにこの俳句を通して疑問をたくさん交わすことで、今まで作ってきた発言し難い社会を変えることにつながるから。

 

発言し難い社会、か。中学生の君たちにすらそう思わせていることに、忸怩たる思いをせざるを得ない。

ハル.

私なら、俳句の作者が正しいという判決を出す。今回作者が俳句に書いたことは総合の冊子の内容を見る限り、暴力的なことや極端に政治的なことなどは述べられたという事実はない。また、そもそも完全に中立の立場をとりたければ、俳句の内容に関しては「政治的なものは選定対象外」や「応募対象外」などに基準を設定しておけばよかった話だと思う。そして、この作者の意見も大切な市民の一意見であり、それを公表することを止めることはおかしいだろう。

 

ちなみに数年前、「9」「NO WAR」とプリントされたTシャツを着ていた女性が、国会傍聴を制止されるというニュースがあった。このことについて、みんなはどう考えるだろうか。

Z会のつぶやき

 

先生の住んでいる町の図書館では、毎年夏、いわゆる反戦的な内容の企画展示を行っていた。図書館主催ではなく、図書館がスペースを貸して、という形だ。今は、自治体によってはそれができないのではないか、とも思う。自治体によって判断が分かれるということは、実はこれ、「表現の自由」といったレベルの問題ではなく、単なる「忖度」の有無、と考えることもできる。