クリティカル・シンキング/みんなの意見 8月の回答選と解説

中3
中3 8月(CLT3M1)
『省略の文学』からの出題

今回の課題

今回のクリティカル・シンキングは以下のような課題だった。

筆者は、欧米の言語から日本語に翻訳するとき、すべてを正しく訳出するのは難しいということを指摘しています。では、日本語から英語などの外国語に翻訳するとき、とくに翻訳が難しいのはどのようなことだと考えますか。あなたの考えを二文程度で簡潔にまとめなさい。

それでは、みなさんが送ってきてくれた回答から、目を引いたものを紹介していこう。

今回の回答選

A.N.さん

いただきますやごちそうさまなど、日本特有の言葉があると思います。ある程度言い換えられたとしても、元の言葉の意味に欠け、翻訳するのが難しいと思います。

 

その国、その地域の生活習慣が育んできた言葉の例である。具体例が挙げられているのがわかりやすい。同じような例としては「お疲れ様です」などもそうだろう(これを言葉の意味通りの外国語に訳すと、かなりおかしな挨拶になる)。

832?さん

「もふもふ」や「トゲトゲ」などの擬音語のような、日本特有の表現技法は外国語では表現しきれないと思う。

 

他にも空き缶さんが同じく擬音語・擬態語を取り上げていた。確かに英語などに比べると日本語は擬音語・擬態語といった「オノマトペ」が豊かな言語であるようだ。
日頃私たちは「試合前で彼はピリピリしていた」「機嫌を損ねた彼女はプリプリしている」といった表現を当たり前に使い分けている。だが、なぜ前者が「ピリピリ」で後者が「プリプリ」が適切な表現なのか日本語を母語としない人に説明するのはとても難しい。

シモヤケなるけど冬が好き!さん

日本語は、主語を会話や文などで省略することが多いが、外国語はそのような事をすることは少ない。なので日本語から外国語に翻訳する時には、主語が何なのかを理解することが、難しいことだと思う。

 

主語が省略されるという特徴は羚羊さんも挙げていた。みなさんも高校へ進学して古文を本格的に学習するようになると、この特徴に悩まされる?ことになると思う。この特徴と表裏一体の関係にあるのが、おそらく尊敬語や謙譲語といった「敬語」ではないだろうか。相手との関係を状況に応じて言葉の表現に移し変えていくのが日本語の特徴なのだろう。

ゆうぽんさん

日本語の一人称を外国語に翻訳することは難しいと思います。日本語で「ぼく」や「わし」と聞くとなんとなくその人の性別や年齢が分かりますが、英語だと全て「I」になってしまうからです。

 

上にあげた「主語の省略」と同様、人称の問題を取り上げている。日本語が場によって人称を使い分けることの実例だ。先生の前の「私」は、友達の前で「俺」になり、家に帰れば「僕」になる。こうしたニュアンスの違いを翻訳するのは確かに難しい。従来、日本語を上手に操るとは、そこがどういう場であるかを察知して使い分けができることだった。

なっちゃんさん

俳句、短歌や日本独特の詩などは難しいと思う。リズムや韻も含めての作品だから。

 

同じようにYumiyaさんも、俳句や和歌といった伝統的な日本文学を事例として取り上げた。言葉は意味を伝える道具としてだけはなく、言葉そのものに〈音〉や〈リズム〉があることを忘れてはいけない。絶妙な〈音〉や〈リズム〉にのった言葉は、単に言葉が意味する以上のものを伝えることがある。これは俳句や和歌に限らず、現代のポップスにも言えることではないだろうか。

Z会のつぶやき

 

投稿してくれたみなさん、ありがとう。
今回の課題は〈日本語から外国語に翻訳するとき翻訳が難しいもの〉について考えることだ。回答にあたっては、あれもこれもと取り上げるよりは、ひとつに絞り込み、具体的な事例を取り上げることが望ましい。いくつも事例を羅列してしまったものや、具体例を挙げずに抽象的な説明に終始してしまったものが見受けられたが、着眼がすばらしいものもあっただけに残念だ。この「クリティカル・シンキング」は長く論じるものではないので、自分の考えを端的にわかりやすく表現することを心がけよう。
最近の高校入試には、短い作文を通して自分の意見を述べさせて、思考力や表現力を試すような「正解のない問い」も見受けられるようになってきた。「クリティカル・シンキング」への取り組みは、そうした問いへのとして大いに役立つと思う。


言葉は時代とともに変化するが、時代の流行語が定着していく場合もある。例えば「恋愛」「個人」「社会」といった言葉。これらは実は明治期に西洋の概念を翻訳して生まれたものなのだ。だから使われ始めてまだ150年程度しか経っていないのだが、いまとなっては普通の日本語として定着しているのではないかと思う(日常会話に出てくる言葉としてはいささか硬いが)。こうした、いまは当たり前に用いられている明治生まれの翻訳語に興味がある人は、ぜひ柳父章の『翻訳語成立事情』(岩波新書)を読んでほしい。


日本語という日常的に使う言葉の特質は、「翻訳」という他の言葉とつき合わせる作業を通して初めてわかるもの。同じように、自分にとって日常的なこと(=当たり前)の特質は、そうではない習慣や文化に触れることによって、初めて気づくことができる。先ほど高校入試に新たな傾向の問題が出題されることに触れたが、今後は大学入試でもこうした日常的なことから問題を発見・分析・解決する力が試されるようだ。こうした傾向への対策も見据えて、「クリティカル・シンキング」をぜひ活用してほしい。