クリティカル・シンキング/みんなの意見 11月の回答選と解説

中3
中3 11月(CLT3G1)
 『文明としての教育』からの出題

今回の課題

今回のクリティカル・シンキングは以下のような課題だった。

問題文の内容をふまえて、あなたにとって、「水の流れのように、自然に見えるまで」身についているものを何か一つ挙げ、それが身についたことで「よかった点」「よくなかった点」を、それぞれ一文ずつで書きなさい。

それでは、みなさんが送ってきてくれた回答から、目を引いたものを紹介していこう。

今回の回答選

Sky,heartさん

毎日勉強すること。私は、小さい頃からずっとZ会を続けてきたので、毎日コツコツと少しずつ続ける習慣が自然とついた。良かったことは、積み重ねが大切な数学や英語が少しずつ出来るようになったこと、良くなかったことは、特にありませんが、短い時間で質の良い勉強をすることが出来ていないと思う。

 

Z会員として実に模範的な事例。Z会がこうした習慣のきっかけになっていると言われると、教材を作成している側としてとても嬉しい。
これまでにコツコツと学習してきたことは「水の流れのように、自然に見えるまで」Sky,heartさんの身についている。その積み重ねが今後の学習の効率アップにつながる。従来と同じ時間で、より速くより多くのことが学べるようになるはずだ。

まっちゃんさん

私にとって、「水の流れのように、自然に見えるまで」身についているものは、最近変えた鉛筆の持ち方です。良かった点は、字を今までよりも速く、丁寧に書けるようになったことです。良くなかった点は、最近やっと自然に書けるようになったので、それまでにできたペンだこが痛い点です。

 

手で文字を書くことは、単に情報を写す作業ではない。まっちゃんさんが取り上げた事例が示すように、手書きの文字には書いている人の身体や気持ちの「姿勢」が表われるものである。日本には、そうした文字に映し出された書き手の「姿勢」を見習いながら文字を書く「書道」という《手で文字を書く文化》が残っている。

S.K.さん

「お母さん」というあだ名がつくほどに私はお母さんらしいとよく言われる。ここで嬉しい事は意識をしなくても周りの人たちの言動を読み取り寄り添える事で、優しく寄り添う事で誰かの心が少し明るくなる事は自分も嬉しくなる。しかし人によってはかけてくる言葉が上から目線に聞こえてしまう時があり不愉快な気持ちを与えてしまう事は、悪い事だと思った。

 

取り上げたのは「セルフイメージ」という抽象的だが人間にとって本質的な事例。自他ともに認める「セルフイメージ」の場合、その問題点は意識しにくいものだが、S.K.さんは自分のセルフイメージがもたらす問題点を客観的にとらえていたのが印象的。ただ、今回の課題としては、「水の流れのように、自然に見えるまで」自分に身についた「お母さん」らしい行為を、具体的に一つ取り上げたほうがよかった。

リランさん

私に身についていることは、フルートで音を出すことである。出したい音を決めてから運指を確認し、その音をイメージし、息の角度やスピードを決め、タンギングの強さを決めて息を入れる、までの一連の流れが頭を使うことなくできるようになったことで、楽器を自由に操れるようになり、奏でられる曲も増え、自然な演奏ができるようになった。しかし、定式化されたことで無意識にでもできるようになり、注意力散漫でも音が出てしまうことで、集中していない練習にも繋がってしまった。

 

楽器の演奏に関連する動作について取り上げてくれたのは、リランさん。回答を読んだイメージでは熟練した職人の動きのようであり、練習を積んだ高度な演奏技術を身につけていることが想像される。「よくなかった点」の部分を読んでも、自分自身について冷静に見つめている様子がうかがえ、これからさらに上達していく人なのだろうと期待する。

Z会のつぶやき

 

今回も投稿してくれたみなさん、ありがとう。投稿されたエピソードを読んでいて気になったことがひとつあった。

「クリティカル・シンキング」には正解はないので、基本的には自分が思ったこと、考えたことを自由に述べてもらってかまわない。ただし、与えられた前提や条件はしっかりふまえる必要がある。今回の課題には、「よかった点」「よくなかった点」を、それぞれ一文ずつで書くという条件があるが、この条件を守ることができていない回答をいくつか見かけた。内容以前の初歩的なミスだが、もし入試で同じことをすれば、採点してもらえないかもしれないので十分注意してほしい。
次に与えられた問題文の内容について。この問題文で、筆者が「水の流れのように、自然に見えるまで」身につけたものとして述べているのは、「文化」のことである。そして筆者は、「文化」は単なる「習慣」とは異なり、「価値意識」を含んでいる、と説明している。
したがって、「水の流れのように、自然に見えるまで」身につけたものの実例は、たんなる「習慣」ではなく「文化」でなければならない。「習慣」と「文化」の線引きは微妙なので、一見、「習慣」に見える事例があってももちろんよい。ただし、これは「文化」である、ということを自分なりに根拠を示しておくことが必要だ(例えば今回取り上げた事例には《手・指先を使った行為》が多かったが、これは知的な作業であり「文化」であることが見えやすかった)。自分が思いついた事例が問題文で言われている「文化」に相当するかどうか、見直してほしい。

これから入試で作文や小論文を書くこともあるだろう。正解がないそうした問いに答える際は、まず出題者が与えている条件(設問で問われていること)や前提(課題文や資料の内容)を、しっかりふまえて考えよう。