クリティカル・シンキング/みんなの意見 7月の回答選と解説

中3
中3 4月(CLT3A1)
『日本人の技術はどこから来たか』からの出題

今回の課題

今回のクリティカル・シンキングは以下のような課題だった。

筆者の主張(39〜40行目)にあるような、現代の私たちが祖先と基本的に同じ作業を繰り返していると思う具体的な事例を考えて、二文程度で説明しなさい。

それでは、みなさんが送ってきてくれた回答から、目を引いたものを紹介していこう。

今回の回答選

春ですねさん

何代も前の祖先は服を着たり脱いだりして、自分の体温調節していた。今も、体調を崩さないよう、クーラーや、暖房器具などの機械を使い自分で体温調節している。

 

確かに「体温調節」は人間が生きていくために不可欠であり、普遍的な作業だ。だが、その作業の外部化(=機械化)が進むと、人間の身体にも変化があらわれる(例えば汗腺が退化するなど)。人間は自分を変わらないものと考えがちだが、環境変化によって影響をうける存在なのだ。

ああちゃんさん

火を起こすのは、最初は火おこしから始まったがそれでは手間がかかる。そうして、長い年月をかけ研究しガスコンロが生まれたが、今度は、火事になる可能性があり、研究し電磁調理器が生まれた。

 

「火の使用」という人間と他の動物との決定的な違いを取り上げたところが目を引いた。IHがあまねく普及した結果、もしほとんどの人間が直火を扱わなく(扱えなく)なったときが来たら、他の動物と区別する人間の定義は変化するのだろうか?

匿名希望さん

ここ最近は、情報通信サービスや人工知能ロボットなど生活を豊かにしてくれるものがある。しかし、人と人のコミュニケーションは、いつになっても必要である。

 

人間にとって「コミュニケーション」は普遍的な作業である、という指摘はとても重要だ。今後も国語ではこうしたテーマの論説文がよく取り上げられると思う。ここで一歩踏み込んで、どうして「人と人の」という限定が必要なのか、情報通信サービスや人工知能ロボットなどの現状をふまえながら考えてみるとよいだろう。

ズムルズリナさん

人間は昔から感染症と闘い続けてきた。ペストやコレラ、インフルエンザなど次々に現われる感染症に、手洗いなどの「戦術」やワクチンなどの「武器」を生み出して対抗し、負けるまいとずっと努めてきた。

 

将来、医療者を志望する人たちは、こうした事例がすぐに思い浮かぶようになってほしい。少し補足すると、医療の目的は「患者を救う」ことであり、必ずしも「病気を退治する」ことではない。ワクチンのような「武器」も、使い方次第では、より強い敵(具体的にいうと耐性菌など)を生み出してしまうことになるのだ。

天かつ丼donさん

現代の私たちは何代も前の先祖から次の世代へと子孫を残し続けてきた。生まれ、子孫を残すこと、これこそ私たちが繰り返してきた作業だと考える。

 

もっとも普遍的な作業に目を向けたもの。では、いま日本で生じている「少子化」「人口減少」という現象は、これまで繰り返されてきた作業にどのような変化が生じた結果なのだろうか。

Z会のつぶやき

 

「作業」というよりは「様式」「文化」といえるほど抽象的で大きな事例を取りあげてくれた人が多かったようだ。事例が思い浮かばず苦労した人は、あえて「作業」という言葉にこだわって、身近で具体的な事例を考えてみよう。例えば「手作業」のような日常的な言葉から連想してもよいと思う。
祖先と同じ作業を繰り返していることを示せば、問の要求は満たすことになるが、課題文にあった「からくり人形」と「コンピュータ」の事例のように、「一見異なるものごとの間に変わらないところ(からくり)がある」という示し方ができるとよりよい。逆に、だれがみても同じ作業の繰り返しである事例を取り上げるのであれば、「同じ作業に見えても、実は時代が変わると違いがある」ということを示すと、さらにレベルの高い内容になる。「変わらないところ」(不変/普遍)を重視しても、「時代を隔てると異なる」ことを重視しても、どちらでもよい。そこに考える人の問題意識がでてくるはずだ。