クリティカル・シンキング/みんなの意見 1月の回答選と解説

中2
中2 1月(CLT2H1/BLT2H1)
『てつがくを着て、まちを歩こう』からの出題

今回の課題

今回のクリティカル・シンキングは以下のような課題だった。

「おしゃれというのは、じぶんを着飾るということではない。むしろそれを見るひとへの気くばり、思いやりだ」と筆者は考えています。筆者が言うような「おしゃれ」の事例だとあなたが思うものを、衣服のファッションに限らず取り上げて紹介しなさい。全体を二〜三文程度にまとめること。

今回は、「それを見るひとへの気くばり、思いやり」という筆者の考えをふまえて、「おしゃれ」なものの例を考えてみるというお題だった。
問題文も興味深い内容で、楽しく考えることができたのではないかと思う。
それではZ会に届いた回答から、目を引いたものを紹介していこう。

今回の回答選

mor0802さん

例えば茶道を学んでいる人が茶道教室で着物では無くジーパンにセーターなどといった服装をしていたら、その場の雰囲気を壊ししまうのではないかと自分は思う。その場にあった服装をするということも自分のために着飾るということではなく、それを見る人への気づかい、思いやりではないか。

 

最初に紹介するのは、場に応じたものを身につけることの意義について考察してくれたmor0802さんの回答。〈その場の雰囲気を大事にする〉という点に着目して、的確に説明できた点がすばらしい。

はるろろさん

接客をするのが仕事の人はスーツ,爪,髪の毛など、だらしないところがありません。「服装の乱れは心の乱れ」といわれるように、身だしなみには態度や心構えが表れます。お客さんに快適に過ごしてもらうためのこのような身だしなみは「おしゃれ」であると思います。

 

仕事の場面での服装について取り上げてくれたのは、はるろろさんの回答。「身だしなみには態度や心構えが表れる」という考え方は、社会人として常に心にとめておきたいと思う。

はるりすさん

私はネクタイピンがおしゃれではないかと思いました。なぜなら、ネクタイピンは非個性なスーツや制服につけることで目立たないながらも、自分を表現出来るからです。また、名前を入れられるため、自分のモチベーションが高まったり、日常会話の中の話題として用いることが出来るからです。

 

個性を表現するという切り口から掘り下げて考察してくれた回答を取り上げてみよう。はるりすさんはネクタイピンという、身につけるものの中では小さなものに目を向けてくれた。人とのコミュニケーションにも結び付くと言及できた点など、着眼点がとても「おしゃれ」だと思う。

M.H.さん

予備校講師には個性的な人が多い印象がある。服装ひとつとっても出社中の社会人とは思えないような格好をしている。喋り方という側面からみても爽快なテンポで大きな声で、時には変な声も出しながら授業をしている。これらの行いに多くの人は自分の仕事を増やすためだと思っているだろう。しかし、僕はこれらは我々、受講者を飽きさせないようにするための予備校講師なりの「思いやり」だと思う。

 

個性という点から考察を深めた回答からもう一つ。●●さんの回答を読んで「なるほど」と思わされた。講師は人前に出る仕事ゆえ、目立つことも求められていると見られがちだが、その根本には〈受講者のため〉というのがあるのだと気づかされた。

憩庵さん

「おしゃれ」という言葉は、音楽に対しても使うことがある。その「おしゃれ」は、聴く人がどう思うか、どう感じるかによって決まる。ほとんどの音楽は、聴く人のためにつくられているので、作曲者や演奏者の気づかい、思いやりであるといえる。

 

服装以外のものを取り上げてくれた回答を紹介しよう。憩庵さんは、〈聴く人のために〉という音楽の大切な視点をとらえて「おしゃれ」と結び付けてくれた。確かに、音楽など芸術作品の原点はこういったところにあるのではないかと思わされた。

じんじゃー loverさん

バレエには見る人への気配りが必要であると思う。何故なら1曲踊るたびに、客席に向かってお辞儀する。また、絶対に、客席に背中を向けてはならない。本番では、自分の力を十分に出せるように、何度も練習することが必要であり、何より、美しくなければならない。やはり、芸術は見る人が評価するもので彼らへの気配りや、配慮が必要なのではないか。

 

最後に、芸術に関して取り上げてくれた回答からもう一つ。じんじゃー loverさんは、〈お客さまに見ていただくもの〉、そしてそのために練習をするのだという、芸術発表の大切な視点をとらえて「おしゃれ」と結び付けてくれた。すばらしい芸術はこのような心持ちから生まれてくるのだろう。

Z会のつぶやき

 

今回のみなさんの回答を読んでいて思ったのは、回を重ねるごとに文章がしっかりしたものになっている、ということである。「二〜三文程度」という限られた分量の中に理由や具体的説明がきちんと盛りこまれていて、〈なぜそれを取り上げたのか〉が読み手にちゃんと伝わってくる内容になっているのだ。問題文で読んだことをきっかけとして、自分なりに思考をめぐらしてみる力がついてきているあかしだと思う。
さて、今回の課題は、筆者の考えを読み取り、その考えにそった具体例を自分で考えてみるというものだった。これは筆者の考えを自分の中で消化し、それをあらためて別の表現にしてみるという点で、筆者との対話ともいえる試みである。もちろん直接筆者に言葉を伝えられるわけではないが、具体例を考えることをとおして文章の理解を深めたり、自分なりの視点をもったりすることができる。単なる受け身ではない、主体的な読解ができるようになるとよいだろう。
今回の講評はここまで。投稿してくれたみなさん、ありがとう!