クリティカル・シンキング/みんなの意見 11月の回答選と解説

中1
中1 11月(CLT1G1)
『暮しの思想』からの出題

今回の課題

今回のクリティカル・シンキングは以下のような課題だった。

問題文では「生活の変化の記録」として日記を取り上げています。こうした日々の生活の変化を示す方法として、他にどのようなものが考えられますか。どのような種類の変化が記録できるのかも明らかにして、二文程度で説明しなさい。

今回の課題は、〈ひとはなぜ日記をつけるのか?〉を主題にした問題文にからめ、「生活の変化の記録」をとるための方法として、日記以外に思いつくものをあげてもらった。なかなか難しい課題だったが、みなさんの回答にはいろいろな例があげられていて、共感したり感心したりしながら回答を読んでいた。投稿してくれたみなさん、今回もありがとう。
それでは、Z会にとどいた回答から、目を引いたものを紹介していこう。

今回の回答選

いぶりがっこさん

写真で生活の変化の記録ができると思う。自分の成長や見た目の変化、出かけたりした場所、その時の友好関係やその時の心情などを記録でき、撮り方によって一つ一つの変化を詳しく記録することができるからだ。

 

今回、最も多くあげられていた方法は、「写真」や「アルバム」だった。その中で、いぶりがっこさんは、課題で求めた「どのような種類の変化が記録できるのか」という点について、「自分の成長や見た目の変化、出かけたりした場所、その時の友好関係やその時の心情」を挙げて具体的に説明してくれていた。仲の良い友達、身近な風景、食べたもの、面白いと感じたものなどを撮影し、ほかの人と共有することのできる写真は、とても便利な記録手段である。

きなこもちさん

SNSでは自分の考え、意見、感じた感情、自分の行動などを写真や動画と一緒に日々の生活の変化を示すことができる。また、それをたくさんの人と共有することも可能だ。

 

「写真」や「アルバム」の次に多かったのが、SNSやメールなどのコミュニケーションツール。きなこもちさんも指摘しているように、写真や動画とともに記録できる点や、共有した人とのやり取りも残せる点が、これらの特徴といえるだろう。日記よりも気軽に書き込める点で、普段のありのままの自分の気持ちが残せると考える人も多いのではないだろうか。

青いヤギ推しさん

私の生活の変化の記録として取り上げるものは、学校で使う授業用のノートです。理由は、今日授業でやった内容を確認でき、字形などで今日こんな気分だったっけな、とか思い返すことができるからです。

 

授業や家庭学習で使うノートを取り上げてくれた人も多かった。学習内容の変化を記録するもの、という意見が多かった中で、青いヤギ推しさんは、「今日授業でやった内容」だけでなく、「字形」などから今日の気分まで思い返すことができるという点を指摘してくれていた。この意見には、なるほどと納得する人も多いだろう。

ふうせんねこさん

お小遣い帳は、毎月、あるいは毎週の自分の中でのお金の動きとか、なににどれだけお金を使ったかという生活の変化の記録になると思います。また、何年も書いていると、その年に自分が好きだったものとか流行っていたものとかもわかるようになると思います。

 

ふうせんねこさんは、「お小遣い帳」をとりあげてくれていた。何にいくら使ったかという記録は、たしかに、必要だったものだけでなく、その時々の自分の好みや流行の記録に十分なりうるだろう。何年か後に見返してみたら、いろいろな発見があるのではないだろうか。

霧島さん

俳句や短歌を定期的に詠む事により生活の変化が記録できると思います。季節による情景や気候、暮らし方など、季節を主とした生活の変化が記録できると考えます。

 

「俳句や短歌」という回答を寄せてくれたのは、霧島さん。たしかに、季語を盛り込むルールのある俳句などは、情景をつぶさに見て言葉に反映するものだから、日々の景観や年ごとの気候の変化のすばらしい記録となるだろう。皆さんもぜひチャレンジしてみてほしい。

Z会のつぶやき

 

冒頭でもふれたが、独自の切り口、観察の鋭さを感じる意見がたくさん寄せられ、改めてみなさんのレベルの高さに感心した。他の人の意見を読んで、こんな「記録」もあるなあという発見があった人も少なくないと思う。

みなさんの一生の中で、いちばん長く付き合い続けなければならない人間は「自分」である。一生において、家族や友人と悲しい別れをむかえることがあっても、「自分」とは最後まで離れることができない。
だが、「『自分』はどういう人間なのか?」ということは、自分自身のことであるはずなのに、とてもつかみづらい。
「『自分』はどういう人間なのか?」ということを把握するのに役立つのが、自分の日常に関する「記録」だろう。もやもやとした存在である「自分」に対して、「記録」をとることでなんとなく形を与えることができ、継続すれば「自分とはこういう人間なのだな」というものが次第にはっきりと見えてくる。
こうした「記録」を残し続けていくと、「私という人間は、こうやって形作られてきたのだ」という〈「自分」という人間が形成された道筋〉を知ることができる。

今回紹介した回答の中などで、これなら自分にもできそう、と感じられる「記録」があれば、その記録をつけることにぜひ挑戦してみてほしい。また、今現在すでに何かの記録をつけているという人は、あなたの素晴らしい財産になっているはずなので、これからもぜひ継続するとよいと思う。