クリティカル・シンキング/みんなの意見 7月の回答選と解説

中1
中1 6月(CLT1C1)
『日本語 表と裏』からの出題

今回の課題

今回のクリティカル・シンキングは以下のような課題だった。

筆者は「さん」という呼称から日本人の周囲との付き合い方を読み取ろうとしています。
こうした筆者の考えに同意する人は、「さん」以外に日本人の保身の気持ちがあらわれていると思われる言葉の例を二文程度で説明しなさい。
筆者の考えに異議がある人は、「さん」という言葉にあらわれているのは、日本人のどのような気持ちか、自分の考えを二文程度で説明しなさい。

たくさんの投稿をありがとう。まずは問題文の内容について一緒に確認しておこう。今回の問題文で示された「さん」という呼称に対する筆者の考えとは、次のようなものである。

軽い敬意と親しい仲間意識の両方をあらわすことができる「さん」という呼称を、日本人が非常に多くのものにつけるのは、周囲の人の気分を害して面倒なことになるのを避けるための保身の知恵ではないだろうか。

「同意」「異議」という二つの立場のうち、みなさんはどちらの立場を選んだだろうか?
Z会にとどいた回答から、目を引いたものを紹介していこう。

今回の回答選

アノブル星さん

日本人は、事あるごとに「すみません」と言いますが、その言葉にも、日本人の保身の気持ちがあらわれていると思います。「すみません」と言うことで、相手の気持ちを損なわないよう、気をつかっているように感じます。

 

まずは筆者の考えに「同意」する意見から紹介しよう。アノブル星さんは、「すみません」という言葉に日本人の保身の気持ちがあらわれていることを指摘してくれた。具体例とその説明が盛り込まれ、上手にまとめられた回答である。ほかに、とかるさんtarutatusosuさんなどが、謝罪の意味以外で使う「すみません」という言葉を取り上げてくれていた。

A.T.さん

私は、「だよね」という言葉にも、日本人の保身の気持ちがあらわれていると考える。なぜならこの言葉は、他人に同意を求めて、同じであることを確認するために使われているように思うからだ。

 

「〜だよね」という言葉に保身の気持ちがあると考えたのは、A.T.さん。自分の意見としてはっきりと言い切らず、相手に同意を求めるように「〜だよね」と話すのは、考えてみればたしかに不自然だ。自分だけの意見ではないですよ、あなたも同意しますよね、というふうに話すことは、まさに筆者の言う「できるだけ敵をつくりたくない」気持ちの表れといえるだろう。

M.R.さん

「かもしれない」という言葉は、自分が言ったことを絶対に正しいと相手に思わせないようにする言葉だと思う。この言葉は、日本人の保身の気持ちがあらわれていると思う。

 

「かもしれない」という言葉に〈自分が発した言葉からの責任逃れ〉という面があることを指摘してくれたのは、M.R.さんAESMさんなど。自分の意見をはっきりと断言しようとしない話し方を指摘してくれた人は、ほかにも何人かいた。たしかに、自分が間違っていると非難されないように、あらかじめ保険をかけておくような言葉が、日本語には数多くある。

N.D.さん

「さん」という言葉にはその呼称を使う人が感じている距離感があらわれていると思う。なぜなら、親しみを感じている人に対しては普通呼び捨てやあだ名で呼ぶけれど、「さん」を使って呼ぶ人はクラスの異性など距離感が近いと感じていない人に使う場合が多いから。

 

ここからは、筆者の考えに「異議」がある人の意見を紹介する。異議を唱えるのはなかなか難しかったようで、似た視点からの意見が多かった。〈相手との距離感〉について指摘してくれたのは、N.D.さん。確かに、友達なら、名前を呼ぶ際にはニックネームだったり、呼び捨てだったりすることが多く、さんをつけるのは、それほど親しくない人の場合であろう。ほかに、S.N.さんぽむあゆさんなど、「さん」の持つ〈相手との距離感〉をとりあげてくれた人は多かった。

瓶太郎さん

私は「さん」という言葉は、感謝している物や人につける言葉だと思う。なぜなら、私達は食べ物が無いと生きていけないし、お医者さんなどの方々がおられないと病気にかかっても何も出来ないなど、普段からお世話になっている物や人につけるからだ。

 

「さん」という言葉に込められた感謝や親しみの気持ちについて指摘してくれたのは、瓶太郎さん。ほかにも、はるさんA.N.さんなど、「異議」を唱えた人の多くが〈感謝の気持ち〉や〈親しみの気持ち〉を指摘してくれていた。なるほど、筆者が例に挙げている、食べ物や職業につける「さん」などは、それらに対する感謝や親しみの気持ちとも受け取れる。

Z会のつぶやき

 

今回は「同意」と「異議」の、それぞれの立場の意見を紹介した。こうして他の人の意見に目を通してみると、自分ひとりでは考えつかなかった、「なるほど、そうも考えられるな!」という発見があったのではないだろうか。
自分ひとりで考えているだけでは、自分の思考の枠(わく)の外に出ていくことは難しい。しかし、他の人の意見に触れたうえで再度考え直してみると、〈新しいものの見方〉〈自分ひとりでは思いつかなかった考え方〉が生まれてくることも多い。今回のクリティカル・シンキングに限らず、自分の意見をまとめようとするときに、他の人の意見を参考にするのは大切なことだ。そのためには、学校の国語の授業やZ会の教材などを利用して、いろいろな考え方やものの見方に触れておくことが必要だ。その積み重ねが、自分の意見を育てる助けになるのである。これからも、日ごろの国語の勉強を大切にしよう。
今回の課題に対して、「何を書けばよいかわからない」と感じた人もいたと思う。はっきりした意見が思い浮かばない場合は、自分の感じたことを簡単な言葉で表現することから始めてみるとよい。頭の中だけで考え続けるのではなく、書いたり話したりしてみること、つまり言葉にすることによって、考えは形をとってあらわれてくるものだからだ。
今回の課題に即して言うと、まず、筆者の考えに対する「同意」または「異議」のうち、なんとなくでも共感できそうなほうの立場を、ノートなどにメモしてみる。次に、「なぜ自分はこちらの言葉を選んだのだろうか」と考えてみて、思いついたことを自由に書き出してみるとよい。これは箇条書きのようなもので構わない。そして、書き出した内容に対して「なぜ?」「どうして?」のように問いを重ねていき、そこで感じたことや考えたことをまた言葉にしてみるのである。
自分の意見というものは、このようにしてゆっくり形作られていくものだ。だから、あまり気負わずに、とりあえずは何かを書いたり、自分の考えを人に聞いてもらったりすることから始めるとよい。クリティカル・シンキングも、その機会のひとつにしてもらえたら幸いである。

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今回の講評はここまで。中1クリティカル・シンキングの次回の回答の公募は、9月度を予定。あなたの投稿を楽しみにしている。