クリティカル・シンキング/みんなの意見 7月の回答選と解説

中3
中3 5月(BLT3B1)
『省略の文学』からの出題

今回の課題

今回のクリティカル・シンキングは以下のような課題だった。

筆者は、欧米の言語から日本語に翻訳するとき、すべてを正しく訳出するのは難しいということを指摘しています。では、日本語から英語などの外国語に翻訳するとき、とくに翻訳が難しいのはどのようなことだと考えますか。あなたの考えを二文程度で簡潔にまとめなさい。

それでは、みなさんが送ってきてくれた回答から、目を引いたものを紹介していこう。

今回の回答選

A.Saxさん

僕は、敬語だと思います。英語にも丁寧な表現はありますが、尊敬語や謙譲語など複数の種類があるのは日本語くらいだと思うからです。

 

相手と距離をおいた丁寧な表現は日本語以外の言語にもあるのだが、文法レベルで複雑に体系化されているのが日本語の特徴だろう。相手が代われば自分の人称すら変わるのが日本語だ。先生の前の「私」は、友達の前で「俺」になり、家に帰れば「僕」になる。こうしたニュアンスの違いを翻訳するのは確かに難しいだろう。

よっしーさん

私は日本語から英語に時、擬態語や擬音語などのオノマトペを翻訳するのが難しいと考えます。なぜなら、日本語のオノマトペは英語に比べて沢山の種類があり、一つ一つが深い意味を表しているからです。

 

他にソラエモンさんも擬音語を取りあげていた。よっしーさんの指摘する通り、英語などに比べると日本語は擬音語・擬態語といった「オノマトペ」が豊かな言語であるようだ。日頃私たちは「試合前で彼はピリピリしていた」「機嫌を損ねた彼女はプリプリしている」といった表現を当たり前に使い分けている。だが、なぜ前者が「ピリピリ」で後者が「プリプリ」が適切な表現なのか日本語を母語としない人に説明するのはとても難しい。

名鉄1700さん

僕が翻訳しにくい文章は、方言が使われている文章です。方言は同じ意味でも、違う言い方で表されていて翻訳には厄介だと思います。

 

方言というさまざまな日本語のかたちに着目したところが目を引いた。そもそも英語に訳す以前に、日本語という共通語(標準語)に訳すのが難しい方言もある。そう考えると、実は「日本語」と呼ばれる言語が統一体ではなく多様性を含んだものだということに気づかされる。

なんちゃって棋士さん

ことわざの翻訳はとても難しいと考える。なぜなら、ことわざは日本人の生活や考え方と密接な関係があるので、直訳しただけでは、日本人の生活や考え方を知らない人に意味が伝わらないからだ。

 

ことわざに限らず、日本人の生活や考え方と密着した言語表現は多く、そうした表現は異なる生活習慣をもつ人にはピンとこない。例えば、「人の心に土足で踏み込む」という日本語の表現を文字通りに訳すことの難しさを考えてみるとよいだろう。

こーこくさん

「いいんじゃない」などのどっちつかずだが、どちらかというと否定的なニュアンスを持つ日本語がいくつかある。が、このような曖昧な表現は英語にはないため、この日本独特なニュアンスを表すのは難しいと思う。

 

英語にはない曖昧な表現について、具体例とともに紹介してくれた点がたいへんすばらしい。こーこくさんの指摘のとおり、「いいんじゃない」をそのまま英訳しても否定的なニュアンスは伝わらないだろう。言外の意味をまとっている定型句や、文脈や話し方で意味合いが変わってくる言葉は、確かに翻訳が難しいといえる。

Z会のつぶやき

 

投稿してくれたみなさん、ありがとう。期末試験が近かったせいだろうか、思ったほど投稿数が多くなかったのが残念だ。「いまは〈正解のない問い〉に取り組むよりも、てばやく正解にたどり着いてよい成績をとることが大事」と考える人が多いのかもしれない。確かに正解にたどり着くことは大切なのだが、最近の高校入試には、短い作文を通して自分の意見を述べさせ手、思考力や表現力を試すような「正解のない問い」も見受けられるようになってきた。「クリティカル・シンキング」への取り組みは、そうした問いへのとして大いに役立つと思う。


言葉は時代とともに変化するが、時代の流行語が定着していく場合もある。例えば「恋愛」「個人」「社会」といった言葉。これらは実は明治期に西洋の概念を翻訳して生まれたものなのだ。だから使われ始めてまだ100年程度しか経っていないのだが、いまとなっては日本語として定着しているのではないかと思う(日常会話に出てくる言葉としてはいささか硬いが)。こうした、いまは当たり前に用いられている明治生まれの翻訳語に興味がある人は、ぜひ柳父章の『翻訳語成立事情』(岩波新書)を読んでほしい。


日本語という日常的に使う言葉の特質は、「翻訳」という他の言葉とつき合わせる作業を通して初めてわかるもの。同じように、自分にとって日常的なこと(=当たり前)の特質は、そうではない習慣や文化に触れることによって、初めて気づくことができる。先ほど高校入試に新たな傾向の問題が出題されることに触れたが、今後は大学入試でもこうした日常的なことから問題を発見・分析・解決する力が試されるようだ。こうした傾向への対策も見据えて、「クリティカル・シンキング」をぜひ活用してほしい。